この「易占で粒焼」ですが、元は「閑人の粒焼(ひまじんのつぶやき)」という、1998年(平成10年)に時候の挨拶代わりに始めたサイトのワンコーナーで、「易占で粒焼(えきせんでつぶやき、当初は「ちょびっとヒント」という名称でした。)」という、自分ですだれを切って作った筮竹で易を立て、その結果にオリジナルの解説をつけたものを掲載して何かヒントにしてもらえたら、というので始めたものです。

 

そもそも易というものに関心を抱いたきっかけというのが、「使い方」の参考文献で挙げたジョセフ・マーフィー氏の著作を読んだことでした。まだ学生だった頃に、色々と思い悩むことに対して何か解決のヒントが得られたら、ということでコインで易を立て始めたところ、後から振り返ればその通りだった、という経験を何度もしたことで、これはなかなか理に叶ったものではないか、と傾倒していった次第です。

 

折に触れ易を立ててみたその経験を踏まえ、これは単なる占いではなく、自分自身の内にある答えに気づくためのヒントである、と思うようになり、そうであれば、同じように思い悩む方に内なる答えに気づいてもらうきっかけを提供できたら、という思いで始めたのが、当初の「易占で粒焼」だったのでした。

 

最初は自分で易を立て、解説を付けて掲載していたのですが、それだと一般的な占いのように誰にでも合うような、最大公約数的な大まかなものになってしまいます。それぞれにご自身だけのヒントを直接つかんでいただくほうがいいのではないか、と思うようになり、「ちょびっと易粒(ちょび易)」という名前で誰でも気軽に易を立てることができる仕組みを作ったのでした。

 

その当時、まだ31歳だった私の、今読み返せば何とも青臭い、暑苦しい易占に対する思い、考え方が「はじめにお読みください」という長い文章で掲載されています。ご興味があればご一読ください。

 

あえて目を通すような内容ではありませんが、ただ、今でも本質的なところで易に対する考え方というものは全く変わっていないな、とは思います。易の本質は、あくまで自分自身が持つ答えに気づくためのヒントであると考えています。

 

これを書いているのが2013年(平成25年)の暮れ、齢44の年ですが、あれから10年以上経って変わったことといえば、本当に迷うとき以外、易を立てることがなくなった、ということです。どこかで見かけたことがあるのですが、易に通ずるようになると究極的には易を立てなくなるそうです。まだまだその境地に至ってはいませんが、あえて易を立てずとも、自分自身の内にあるヒントに気づきやすくなった、易を立てずとも易占的に物事を見ることができるようになった、ということではないか、と考えています。

 

いずれにせよ、難しいことは考えず、気軽に易を立てていただければ、と思います。何度も易を立てるうちに、極めてシンプルに、冷徹で穏やかな易による、答えをつかむためのヒント、道筋というものが表れるものだと気づかれると思います。

 

ときに不本意な卦辞が出ることもあるでしょう。そういう時は、易がそこさえ気をつければいい、と諭してくれているときだと思います。

 

ときに嬉しい卦辞が出ることもあるでしょう。そういう時は、易が浮かれず気を引き締めるように、と諭してくれているときだと思います。

 

易経が「変化の書」と言われるとおり、易には絶対というものがなく、絶えず物事は変化していくものだ、というこの世の深い道理を示してくれています。ご自身で立てた易の結果に一喜一憂することなく、絶えず変化してやまない先々を見据えて、自分自身で道を切り開いていくものだから、と腹をくくって進んでいただければ、と思います。

 

最後に、31歳の私が書いた文章で、なかなかいいことを言っているな、と感じた部分を引用して締めくくりといたします。

 

それでは、どうぞ易占の世界をお楽しみください。

 

 「易」はヒントだから、どうとってもいいわけです。あ、そうやったんか、と思うのもええし、それはちょっとちゃうやん、と思うのもいいし。なるほどな、と思うのも、無視するのも全く自由やと思います。その選択の自由を認めてるのが「易」です。

 

 同じ問題に対して二回も三回も占うのはアカン、と言われますが、個人的にはその時その時の事情や要素などによってヒントも変わってしかるべきと思っているので、別に何度占ってもいいと思います。ただ、続けざまに占うのは、アカンとは言わんけど、混乱するだけで、ヒントにならなくなってしまうから、よくはないやろなぁ、とは思います。一度占いを観て、その問題を寝かしておいて、頃合いみてまた占いを観て、あれこれ考える、いうのはいいと思います。結局決めるのは自分やから。何回も観てそれをヒントにしたいと思うなら、その自分の気持ちに従ったほうがいいと思うのです。易って友達のアドヴァイスみたいでもあるけど、何度か話聞いてもらうとか、そういうのあるやないですか。なんにせよ、形にこだわらないほうがいいと思う。自分にあった方法でやればいいと思います。いい意味で、自分勝手が一番ですね。